手裏剣

歌川国貞「艶紫娯拾餘帖」屋敷に忍び込んだ忍者が戦う様子が描かれている

手裏剣

手裏剣とは

 「忍者の専売特許」というイメージの強い手裏剣。しかし、実際は武士のほとんどが弓・槍・剣術と共に修練し、忍者以外も使用していた武器でした。江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜も好んで修練し、その技術は名人の域だったといわれています。手裏剣はいつ誕生し、どうやってつくられたのか、確かな定説はありません。ただ、戦国時代の「打ち物」が発展したという説や中国の投擲(とうてき)術が伝来して手裏剣になったなどの諸説が存在しています。手裏剣は打つと最大で14〜15mほど先の敵を攻撃することができます。小さく黒いのは見えにくくするためであり、敵にとっては避けにくい武器でした。しかし、急所に当たらなければ致命傷を与えることはできません。そのため、主に投げつけて敵を油断させて斬りかかるまたは逃げる、もしくは手裏剣自体に毒を塗るなどして使用していたといわれています。手裏剣には大きく分けて「棒手裏剣」と「車剣」の2種類があります。その形は、流派ごとに異なり、統一はされていませんが、色は真っ黒という共通点があります。この黒は焼き入れの前に、熱した手裏剣に綿布をかけて炭をこびりつかせることでつくられています。こうすることで目立ちにくく、錆びにくく、そして表面が適度にざらつくため、持ちやすく、毒をつけやすくしたのです。

忍者とは

 忍者の起源の一説は、約1,400年前の飛鳥時代。聖徳太子が「志能備(しのび)」と呼び用いた、朝廷の情報を収集する集団といわれています。その後「忍び」として、史料上存在が確認できるのは南北朝時代(1336〜1392年)以後であり、「忍者」という呼び方が定着したのは1955年頃(昭和30年代)になってからとされています。

 忍者の役割や認識も時代と共に変化していきますが、その主な役割は戦闘ではありませんでした。戦国時代の忍びは、各地の大名に仕え、敵国への侵入・情報収集などを行い、主君に敵の状況を伝えました。そのため、生きて逃げ帰ることが最も重要であり、手裏剣をはじめとしたさまざまな技術を習得していました。また、忍者といえば屋根裏に潜んで盗み聞きをするというイメージがありますが、実際は土地の人と仲良くなって情報を聞き出すことが多かったようです。平和な江戸時代が訪れると、警護が主な任務となり、隣国の政治状況を自国の政治に生かすための情報収集という仕事も行っていたようです。だんだんと実在の「忍び」が姿を消していく江戸後期になると、小説・芸能では虚像としての忍者が描かれていきます。そこでは、摩訶不思議な忍術を使って盗みに入るというパターンが多く描かれ、歌舞伎や浮世絵などで「黒装束に手裏剣」という現代につながる忍者のイメージが形成されていきました。ただ、忍者の情報はまだまだ謎が多く、今後研究が進んでいくことで、さらなる発見があると考えられます。

手裏剣の種類

右上の棒状のものが棒手裏剣、その他が車手裏剣。 それぞれさまざまな形がある

手裏剣には、大きく分けて棒手裏剣と車剣があります。棒手裏剣は、その名の通り一直線の棒状の手裏剣で、車剣よりも製造が簡単な上、威力も大きいものです。車剣は棒手裏剣と違い、さまざまな形があります。一般的にイメージしやすいのが車剣だと思います。周囲全てに刃がついているので、どの部分が当たっても敵に傷を負わせることのできるメリットがあります。

手裏剣の持ち方・打ち方

持ち方

使用する場面によってさまざまな持ち方があります。特に決まった型はなく、どんな状況でも確実に的に命中すれば良しとされていました。 wa_vol05_02_ja.png

打ち方

【本打ち】
手裏剣の最もオーソドックスな打ち方。上から振り下ろして打ちます。

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【横打ち】
手裏剣を片手で持ち、横からスライドさせて打つ方法。マンガによく見られる両手をこすりながら打つ方法に似ていますが、あれは現実には不可能でしっかりグリップしなければ威力は出ません。

【手裏剣の携帯方法】
手裏剣を持ち歩くときは、鹿の皮の袋に入れて腰に下げていました。また、胸元の隠しポケットなどに数枚忍ばせておき、いざというときの防弾・防刃にもしていたそうです。

忍者の豆知識

一 忍者の武器

手裏剣の他にも、忍者は多くの武器を持っていました。その中のひとつ「鎖鎌」はコンパクトにできていて、柄は片手で握って少し余る程度の大きさだったそうです。これを懐中に忍ばせ、いざというときに使っていました。

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二 歴史上の人物の忍者説!?

「実は忍者だったのではないか」と噂されている歴史上の人物は少なくありません。例えば、「奥の細道」の著者で、日本中を渡り歩いた松尾芭蕉や大盗賊の石川五右衛門など。私たちが知らないだけで、多くの人物が忍者だったのかもしれません。

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三 忍者装束は黒ではなかった

忍者といえば「黒い服」というイメージがありますが、必ずしもそうではありません。忍術三代秘伝書の一つ「正忍記」には濃い茶色や紺色の装束を着ていたと記されています。電気のない時代では、黒に近い色なら十分闇に紛れることができていたのです。

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協力:伊賀流忍者博物館
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